「私の歯科人生」 付記編(2) 山本嗣信
帝国データバンクによると、印刷業者の倒産は2009年、過去最多であった。
年次推移では、2007年130件、負債総額163億8800万円、2008年139件、0負債総額494億5200万円、2009年174件、負債総額555億8400万円と増加傾向。
原因は、市場縮小で競合が激化するなど、印刷業者を取り巻く経営環境は悪化の一途を辿っている。
出版業界の低迷に加え、世界経済の停滞で、広告宣伝費削減のあおりを受けたのである。
日本歯科新聞社もかつては、倒産した印刷会社の(株)デイ・エスで新聞を刷っていた。
日本歯科新聞社の前身の臨床通信社が倒産して、東京歯科材社の吉田初太郎社長らが、臨床通信社を改組し、日本歯科新聞社として再建した。
吉田初太郎さんが同じ東京上野法人会の知人の水野冨久司さん(デイ・エス社長)に頼み込んで、新しい印刷所(当時の生産経済新聞社)で新聞を刷ることとなった。
水野冨久司さんは元産経新聞社の東北支局長。
日本歯科新聞社の創業者の横田真二郎さんとは、元産経新聞社では同僚であった。
横田さんは産経新聞社の満州総支局長をしていて、戦後日本へ引き上げてきた。
二人ともGHQによって公職追放された立場であった。
因みに、デイ・エスは(株)神戸新聞と合併した。
現在、神戸新聞は倒産したデイ・エスとの資本関係はない。
我々が産経新聞社で出張校正をしていたころは、まだ、鉛印刷であり、活字を拾う名人たちがいて、驚くようなスピードで活字を組んでいた。
組みあがると、棒ゲラと呼ばれた印刷紙がテーブルに積まれた。
女性記者たちは衣服が汚れるので、前掛け姿であった。
建設、住宅、自動車、宝飾、不動産、精密機械、教育、農業、医療などあらゆる業界紙、専門紙のスタッフが大部屋の校正室にいて、日刊紙は個室の校正室であった。
水野冨久社長は禿げ頭にハットをかぶり、外出先から戻ると大声で「オッス」と挨拶した。
「君たち、そろそろ、天下を取れるかね!」と聞く。
「まだまだ」と応じると、「早くせんと、天下の方が逃げていくぞ!」とハッパをかける。
元産経新聞社の同僚の横田さんには、気兼ねして時々食事に誘っていた。
「まあ、日本歯科新聞は伸びてきたね! うちの取引先に中では、有望だ。週刊紙にしたんだかね」
そして、副会長の立場で、日本専門新聞協会への入会に尽力してくれた。
ところが、国会記者クラブへは入れるのに、水野治雄社長は手続きを最後まで取らなかった。
厚生労働省の記者クラブと国会記者クラブは連動していたので、幹事が「おい山本、国会へ何で来ないんだ」と酒を飲むと訝った。
結局、日本専門新聞協会会員は単なる名刺の肩書きに過ぎなかった。
つまり、体外的に箔(重みを加える)を付けたのだ。
しかし、デーリースポーツ、日刊スポーツ、競馬新聞の「エイト」まで印刷していた印刷大手のデイ・ケイ:デイ・エスの倒産はショックであった。
2007年がピークで33億8000万円。
固定ユーザーは約60紙とされた。
なお、外部から専務取締役を招聘したが、2009年解任している。






