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長年にわたり歯科界の動きをチェックし、鋭い視線で切り込みます。茨城県出身。(医科歯科通信)

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連載

2012年2 月10日 (金曜日)

創作欄 「私は徹ちゃんと結婚はできない」

徹は屈辱を味わった。
酒が飲めたら、酒で怒りや虚しさを紛らわせていた。
眠れぬまま、寝床で佳織の言葉を反芻した。
「結婚? 私と?」
佳織は冷笑を浮かべた。
佳織の優しい笑顔が歪んで見えた。
徹は佳織の瞳を懇願するような目で見詰めながら、緑色のソーダー水を一口飲んだ。
「私は、贅沢な女なの、お洒落もしたいし。美味しい物には目がないの。私は徹ちゃんと結婚はできない」
数日前、佳織から「徹ちゃんの年収は?」と唐突に聞かれた。
正直に答えたら、「そんなに少ないの? よく我慢しているのね」と佳織は突き放すような口調で言う。
徹が勤める印刷会社は、業績が下降線を辿っており、営業部の徹たちが必死に新規の取引先の獲得に奔走していた。
だが、思うような成果が出ていなかった。


年収200万円以下が1100万人

はつテレビで20代、30代で生活保護を受けている若者の声が紹介されていた。


面接に150回以上も行くが、採用されない。
「また、断られるのではないか」と面接に嫌気がさしてきて、就職活動をやめて生活保護者になった。
だが、市ではサポートした。
市の担当者が面接の訓練をし、面接に同行する。
同行者が居ることは気強い。
そして、ある飲食店に雇用された。
3か月の見習い期間をクリアすれば、正規の社員となれる。
働く意欲を示す。
その企業を選んだ理由を明確に伝える。
年収200万円以下が1100万人。
経済的な理由で結婚できない若者たち。
あるいは貧困に苦しむ子育て世代が急増している。
雇用対策の最大のカギは円高対策。
円高のため、企業は海外へ生産拠点を求め、外国人を雇用する。
日本人の社員がリストラされる。
悪循環である。
失業した人たちが、ワーキングプアになり、製品を買わなくなる。
国内の売り上げが伸び悩む。
結婚している割合(20~30代)
年収
300万円以上の25~40%
300万円未満9%
分岐点は300万円の現実。
今、働く人の3人に1人が非正規社員。
正規雇用者の86.9%が年収200万円以上。
非正規雇用者の77.7%が年収200万円未満。
これではインプラントなどの自費の歯科医療も受けられないだろう。

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2012年2 月 9日 (木曜日)

パソコンの具合が悪いこれでは、更新に時間がかかる

ざつ「TypePadは長時間のスクリプトが原因により表示できません」と表示される。

これでは、今日の体調と同じではないか。


アンデルセンの童話集

「本質的な人間の崩壊が始まっていると思う」
読売新聞のインタビューで芥川賞選考委員を退任した石原慎太郎さんが述べていた。
自我意識の希薄は、時代の反映でもあろうか?
選挙は権利であるはずなのに、投票率は実に低い。
多くの人たちが「何も変わらない」と他人ごとである。
変えるのは、自分の意識であり、行動だが・・・
「自分が変われば、社会も政治も世界すら変えられる」
安易にカネを得ようとする。
そして結果を性急に求める。
農業が衰退してきたのは、ある意味で必然であろうか?
現金収入を得るため、男たちは農村地帯を離れた。
年寄りと残った女性(妻)子どもたちが手伝い、農業は細々と営まれていた。
その構図は、昭和30年代と変わらない。

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当方の従兄は長男であったが、農業を敬遠して自動車の整備工となった。
父親は胃癌を苦に40代で自殺し、母親が4人の娘と息子1人を育てた。
高卒は長男だけで、娘4人は中卒で学校を出ると長女は16歳で農家に嫁ぎ、他の娘たちは都会に集団就職をした。
仕事が休みの日に従姉たちは叔母の家、つまり我が家にやってきた。
「仕事はどうなの?」と私の母が訪ねる。
「おばさん、農業より仕事は楽だよ」と微笑んでいた。
今思えば、遊びたい盛りの年代であるのに、仕事に励む従姉たちはとても素朴な感じがした。
東京・園調布の大きな邸宅に住む小学校の同級生は、私の従姉たちと同世代のお手伝いさんに送り迎いされていた。
赤い頬っぺたの女の子もいて、悪童であった私たちが「りんご」というあだ名でからかっていた。

結局、2年生になるとお手伝いさんたちの送り迎いは見られなくった。
だが、買い物をするお手伝いさんを見つけては、「りんご」「りんご」とからかっていた。
相手のお手伝いさんは、羞恥心から早足で買い物籠を抱えて店の中へ入っていった。
ある時、私の母親にそれを見止められた。
「からかうなんて、だめよ。お前の従姉たちと同じだよ」
実は、いじめっ子であったので、クラスの女の子たちに嫌われていた。
「この本を読んで、良い子になるの!」
ある日、気が強い女の子の1人が、私の机に本を置いた。
それはアンデルセンの童話集であった。
その子は赤い靴を履いていた。
父親は外交官であった。
3年生の終わりに女の子の一家はアメリカへ行った。
それが女の子の存在を強く意識した最初のことであった。

 

 

 

 


 


2012年2 月 8日 (水曜日)

Kati2読売新聞1面の「指導力」


「政治指導者に第一に必要なのは時間だ。就任1年目は職務を学び、2年目で政策を吟味し、ようやく3年目に政策を実行できる」
マハティール・モハマド 元マレーシア首相
「政策を真に履行できたのは2期目だった。国民は、性急に結果を求め過ぎる」
「第二に必要なのは構想だ。指導者ひとりでは視野が狭く、誤っていても本人は気づかない。なるべく多くの人々の意見を聞き、検討を加える上で、自らの構想に仕上げるべきだ」
「第三に必要なのは、社会格差への配慮だ。貧富の差が非常に大きくなると、紛争につながるのは必至だ」
「良き指導者はまず自分が変わり、次に人々を変える力を持つ。その結果、国は豊かになり、強くなり得る」
「中国には世界を支配する野心はないと思う。我々は、中国が豊かな大国となった現実を受け入れるべきだ」
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<考察>
「優れた指導者はそのように考えるのか!」
感嘆した。
「自分が変わる―」 一番難しい命題である。
人はともすると、人と比較する。
例えば、金の多寡を。
あるいは外観を。
そして、「心の財産」には、目が届かない。
(沼田利根)

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精神対話士とは心の訪問ケア(アウトリーチ)の専門職

じょう精神対話士とは心の訪問ケア(アウトリーチ)の専門職「精神対話士」孤独感や寂しさ、心の痛みを感じている人(クライアント)に寄り添い、暖かな対話を通して気持ちを受け入れ共感し、人生に生きがいを持ち、よりよい生活を送れるよう精神的な支援を行う心の訪問ケアの専門職です。

精神対話士が対象とする方は、高齢者、病人、引きこもりの人、対人関係で落ち込んでいる人、介護に疲れた人、事故や震災の被災者、重病患者をはじめとする病人、ホスピスの入居者、学校生活や職場で精神的ストレスを感じている人など多岐にわたります。

そうした心のケアを必要とする人々に、薬の処方や精神療法といった医療行為を行うのではなく、暖かな対話を通して心の重みを軽くし、生きる希望を見い出すお手伝いをします。

クライアントが希望する場所に精神対話士が出向き、対話を通して心のケアサポートを行うのも特徴です。

精神対話士とは、公益法人である財団法人メンタルケア協会が認定する資格で、資格取得の道は多くの方々にオープンに開かれています。
受講・受験に際して年齢、学歴、職歴などは不問で、これまでにも学生から定年退職をされた年配の方や高齢者までが受講し、資格取得を実現されています。

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<参考>

精神対話士の杉山晴美さんは、2011年、夫を9.11米国多発テロで亡くした遺族。

当時おなかにいた息子は9歳。

他に11歳、13歳の男の子の母である。

「あの事件は、本当につらいものでしたが、悲惨な状況が決して悲惨な結果だけを生むものではないこともわかりました。多くの人から励ましや支えを受け、人間の真の強さや優しさを身を持って知ることができました」

「私が強く実感していることは、『本当にやりたいこと』は、年齢などに関係なく、必ず見つけ出せるし、出会えるということです」

2002年の手記「天に昇った命、地に舞い降りた命」は反響を呼び2004にドラマ化された。

「自分の幸せは自分でつくる」

世界貿易センタービル(WTC)に飛行機が突っ込んでいく映像を、ハドソン川を挟んで目と鼻の先にある自宅テレビで見ていた。

ビルの80階にいたと思われる夫・陽一さんは帰らぬ人に。

いまだに身元が分からない遺体は1000体以上。

 


2012年2 月 7日 (火曜日)

「アップが実感できるような点数改定になるよう工夫」を

じょう水野智彦衆議院議員(歯科医師)のブログから引用

 

民主党の厚生労働部門会議が開催され、ホームレス自立支援法の延長とホームレス対策の取り組みの状況についての討議の後、診療報酬改定についてヒアリングが行われました。


 診療報酬改定は、中医協で最後の細部の詰めを審議中で、2月中旬ころに答申がなされるようです。


 実質的な診療報酬アップが実感できる点数改定は当然のことながら、改定に伴う通知通達の早期化、文書提供の簡素化など歯科にかかわる様々な規制の緩和を西村先生、川口先生とともにお願いしました。


 終了後に再度厚生労働省の担当に状況を説明し、強く要望をしました。

また前回改定で2.09%アップが実感できなかった理由や、都道府県間での格差の原因をしっかりと分析すべきと注文を付けました。

 担当からは様々な要望を聞いているので、アップが実感できるような点数改定になるよう工夫していると言っていました。

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<コメント>

多くの国会議員のブログを見ているが、常に充実した内容で更新している。

 

実は、辛口の歯科医師たちは、水野智彦衆議院議員をあまり評価していないのだが・・・

なお、「アップが実感できるような点数改定になるよう工夫」が期待される。

(沼田利根)


創作欄 「あの一言」

人生を振り返ると確かに、励まされた「あの人の一言があった」。
「当社ではあいにく採用できませんが、あなたには良いもんもがありますよ。あなたにふさわしい職場があるはずです。ご活躍を期待しています」
人事担当者の美人総務部長は、爽やかな笑顔であった。
大学生の徹は何度も面接に行ったが、名刺をもらったのは初めてであった。
その人は誰かに似ていた。
想いを巡らせると、中学の担任教師であった数学の辻玲子先生に似ていた。
徹は数寄屋橋方面から右折し西銀座デパート方面へ向かった。
デパートの中を歩きながら、真田幸吉さんのことが思い出された。
帝国ホテルの傍にあったリッカーミシンで、徹は3年生の夏休みアルバイトをしていた。
仕事は伝票の仕分けである。
係長の真田幸吉さんが、アルバイトの学生4人の担当をしていた。
「飯食いに行くか? ご馳走するぞ」
真田さんは40代であったが独身で、カネ回りが良いので度々アルバイト学生の昼飯代を奢ってくれたのだ。
真田さんは徹と同じ早稲田大学出身であった。
真田さんは酒が好きであるので、徹を有楽町駅前の居酒屋へ誘ったが徹は酒が全く飲めない。

徹の父親は佐賀県湊浜の網元で、大酒飲みであった。
真田さんはいみじくも言っていた。
「酒が飲めない徹君が羨ましいよ。酒で色々と失敗もした。酒さえ飲まなければ、結婚もしていただろう」

真田さんは、何かを思い浮かべたように窓の外に目を向けた。

ビルの下に西銀座デパートが見えた。

徹は社会へ出ても、酒は飲まないでいようと思った。


2012年2 月 5日 (日曜日)

災害自体ではなく関連死が原発周辺で起きる

原発周辺で災害関連死573人を認定。

審査対象の634人のうち、29人は再調査。

1995年の阪神淡路大震災では、神戸県内の死者6402人のうち、919人が関連死。

疲労やショック死、持病の悪化が原因。

まだ、増えるだろう。


語りかけるように歌う 人間としての成長こそが重要

はつキャロル山崎 (ボーカル) 東京都出身。


父はハンガリー系アメリカ人、母は静岡/日本 人。
 清泉女子大在学中からモデルとして雑誌のグラビアやテレビ゙のイメージガール等で 活躍。
 TBSドラマの主題歌“ラブ・イズ・フォー・オール・シーズンズ”で歌手デビュー。

キャロル山崎さんが、第27回日本ジャズボーカル賞を受賞した。
「1人1人に語りかけるように歌う」
情感のこもった表現力。
優雅で華麗。
そして、澄み渡ったような美声。
極上の音律が、ライブハウスの空気にしっとりと溶け込む。
そのように表現されているので、興味をもった。
美しく、爽やかな歌声とも記されていた。
明るい声が魅惑的だ。
情感を込めて、表情もたくみに歌い上げる。
歌に思いを乗せる。
「人間としての成長こそが重要。なぜなら、自己の内面にあるものが、自らの芸術によって語られる物語の源泉になるから」
「優しく、しっとりと語り語りかけるような歌唱スタイル」が余韻を残す。

http://www.youtube.com/watch?v=mO_mFnslJe8&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=WV_lXfeg2Tc&feature=related

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<参考>

クリフサイドは、1946年開業「山手舞踏場」として終戦から1年後の昭和21年8月に開店致しました。
100平方メートルのダンスフロアーを有し、1階2階の吹き抜けは、ゆったりした空間を作り出しています。
数々の有名Jazz奏者、ミュージシャンが、クリフサイドのステージから巣立って行きました。
今もクリフサイドは、古き良き横浜の香りをそのままに愛され続けております。

ご来店を心よりお待ち致しております。
ご予約・お問合せ 045-641-1244
営業時間 6:00~11:45PM

ダンス ・ お食事 ・ カクテル ・ ワイン でお楽しみ下さい。
定休日//日曜日(貸切パーティーは承ります)

イベント時は、生バンドが出演致します。
(詳しくは、Schedule/最新情報をご覧下さい。)