初めてチェーホフの小説を読む
些細なことには、怒ることはよそう。
新年にあたり、指針として人生の師は、「朗らかに生きよう」と呼びかけた。
腹は立てるもではなく、腹を揺する。
つまり、笑い飛ばして、力強く歩むのだ。
神奈川県の小田原で昼食のために、その店に入る。
主人らしい50代の男性と、30代と20代と思われる店員が居た。
そして、厨房に1人。
ところで、主人はことあるごとに、20代の店員に文句を言っていた。
「遅い! 早く」
「ぼんやり、立っているんじゃない。かたずけろ」
「何度、言わせるんだ。早く」
「お茶が出てない。先にお茶を出すんだろ」
「ハイ分かりました」「ハイ、ついません」と若者は感情を表に出すこともなく率直に返事をしていた。
食事をしながら若者の様子が気になりだした。
立ち居振る舞いが、緩慢なのだ。
知的障がい者のようにも思われた。
徹はイジメにあっても、何時も何事もなく微笑んでいた若者がいたことを思い出した。
それは、学生のころにアルバイトをしていた東京・新宿の居酒屋でのことであった。
ある日、終電に乗り遅れて、徹は若者のアパートに泊めてもらった。
歌舞伎町から職安通りを渡り、柏木の若者が住む古い木造のアパートへ向かった。
4畳半一間の部屋には、机と本箱だけがあった。
読みかけであったのだろうか、机の上にチェーホフの短編集があった。
本棚に目をやると、露西亜の作家の単行本が多かったので、「ロシアが、好きなの」と聞いてみた。
「18世紀、19世紀のロシアが好きだね。でもソ連は嫌だ」と微笑んだ。
徹はフランス文学やドイツ文学、そしてイギリスの文学を好んでいた。
露西亜文学に対しては、暗く重苦しいイメージを抱いていたのだ。
「チェーホフの短編集、君に貸すよ。認識を変えてしい」
若者は頬を紅潮させて、はにかむように言った。
徹は裸電球の下で、ページをめくった。










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