連載 「深化する60代」 続編 (3) 山本嗣信
取材で東京・霞が関の自治省へ行く。
並びのビルは警視庁を含めて、煉瓦造りで重厚な建物が並んでいる。
桜田門側に警視庁、虎ノ門側に文部省、中間に自治省がある。
自治省の斜め前が農林省で隣が厚生省。
農林省の前が外務省であった。
外務省の並びに通産省。
ところで、公益事業はガス、水道、病院などの事業であり、公益事業新聞社時代も自治省へ取材に行っていた。
自治体病院は自治省の管轄、国立病院は厚生省の管轄。
病院新聞社は、自治体病院の要請で始まった機関紙のような存在。
つまり、公立病院側に軸足を置いていた。
当時の医療界のドンであった日本医師会の武見太郎会長とは敵対する立場。
武見太郎会長は病院側ではなく、診療所、つまり開業医の利益集団を擁護する立場とされていた。
「病院新聞? 出入り禁止!」
取材に行くと、東京・駿河台(御茶ノ水)の日本医師会の1階受付で追い返されていた。
ちなみに、公益事業新聞社は水道新聞社の姉妹紙。
正確には、公益事業新聞社は水道新聞社が株主であり、広瀬社長は雇われ社長の立場。
そこで、広瀬さんが自ら経営者として設立したのが、病院新聞社であった。
だが、創刊して2年余、赤字経営が続き広瀬社長はイライラしていた。
新人の私は、広瀬社長に怒られどおしであった。
「記事は、散文や随想じゃないんだ。ムダなことは書くな!簡潔、明瞭に書け!」
「12月より! 12月から、だろうが! よりは比較する表現なんだよ。大学で何を学んだんだ!」
赤ペンで記事を校正しながら、色々指摘された。
相手は、京都帝国大学卒、元自治省官僚。
「私大卒の奴らは、何事にも甘いんだ。緻密な思考ができない!」
国立大学卒が、公益事業新聞社や病院新聞社に来るわけがないのであるが、広瀬社長は、我々社員を見下すような言動を繰り返していた。
官僚に対する、必要以上の敵愾心が芽生えたのは、想うに広瀬さんの部下になったことに起因していただろうか?










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