都道府県の会長も任期制としてはどうであろうか
記者の視点
突出すると、睨まれてる。
結果として、「足を引っ張られる」。
過去の例を見ると、社会党(当時)の辻元清美の議員秘書の経費のピン撥ね問題。
(政策秘書の給与の大半を事務所経費などに充てていたとされる問題)
田中真紀子大臣の更迭。
(田中真紀子外務大臣は就任当初から外務省を伏魔殿と呼び、外務省職員との関係がうまくなかた)
ムネオハウスの鈴木宗男議員。
(米国との同盟関係を強めていた小泉政権の下で、ロシアとの独自のパイプを持って外交にイニシアティブを発揮していた鈴木を失脚させたい外務省が、鈴木の利権問題をとらえて、日本共産党の質問に乗った疑惑があることに言及し、これを非難している)
確かに、排除される個人的要因もあった。
身から出たサビと片付けることもできるが、出る杭として打たれたとも言える。
国家権力の検察・官僚とマスコミがタッグを組む。
それに負けなかった人物は、我が国に居たのか、居なかったか。
居たと断言できる人物が、居たとしたらこの人物かもしれない。
創価学会の池田大作名誉会長であろうか?
我が国の歴史を綿密に検証すると、まだ居るかもしれないが・・・
京都大学東南アジア研究センターの矢野暢教授は、セクハラ問題で大学を追われた。
「女性とは合意の上」と弁明したが、認められることはなかった。
いずれにしても、清廉潔白であること、身辺がきれいであること、が指導者には不可欠。
俳優の森繁久弥は、挨拶代わりに女優の体を触りまくっていたそうである。
「今の時代なら、何度、警察の御厄介になったか、分かりませんよ」と度々体触られた女優は振り返っていた。
笑ってすまされる時代であり、相手が森繁久弥なら「許せる」という
寛容さもあったのであろう。
人を特別視はできないが、人徳で同じ行為が笑ってすまされる場合もあった。
今日、いわゆる過剰に反応し、怒り狂うクレーマーが問題視されている。
被害者意識の『肥大化』とも言えなくもない。
泣き寝入りがけして言いわけではないが、最善を尽くした医療行為さえ、警察が介入する時代でもある。
話題を転じて、相撲界。
まず、貴乃花の理事選問題。
「相撲界を改革したい」その志は尊ぶべきで、公明正大、透明性のある選挙が期待されたが、結果は汚点を残した。
理事に落選した側が、造反者の割り出しまでして、裏切り者として詰め腹を切らせた。
廃業届を出した。ところが、これを問題視した文部科学省が待ったをかけた。
古い体質の相撲界に、国側として行政介入した。
つまり、相撲界に自浄作用が働かなかったのだ。
典型的な村社会としての相撲界。
それでいて、伝統、格式ばかり重んじて、土俵は清浄扱い。
不浄の象徴としの女性は、土俵日に上がれない。
元来、神と仏の前に、男女は平等であるはず。
ところが、相撲は神事であり、例外中の例外中としてきた。
さらに、横綱には厳しい掟を定めている。
特別な人間の創出である。
朝青龍は29歳。
一般の社会人の29歳とは、とても比べものにならないほどの重圧が、横綱には押し被せる構図となっている。
朝青龍の不祥事について、擁護するつもりはないが、21世紀の国際社会に通用する相撲社会であることを期待したい。
ガッツポーズだって、それほど目くじら立てる行為ではない、と思われる。
時代錯誤の相撲界であるが、21世紀型の相撲界になった時、日本の若者が横綱にもなるだろう。
また、モンゴルの人々のような雑草のような逞しさが、日本の若者に期待される。
毎年の自殺者が約3万人、ひよわな日本人からの脱却が期待される。
さて、歯科界であるが、未だに残念ながら村社会である。
同窓会の力学が、役員人事に色濃く投影され、恣意的に働いている。
これでは相撲界の理事者選びと、さほど変わらない構図ではないだろうか?
都道府県の会長なども、任期制としてはどうであろうか。
任期が長いと、池のように淀むと思われるのだが・・・。










コメント