私的な記述
山本嗣信
既に記しているが、私的には興味を、「日本人論」に軸足を置きつつある。
そこで、裏千家第16代家元・千宗室さんの言葉を以下引用する。
1)顆猟民族は「太陽」が生活や行動の基盤にあるように考えられる。
2)それに対して農耕民族は「月」が生活の中心にあるように思われる。
3)日本では、例えば「二十四節気(春夏秋冬をそれぞれ六つに分ける。例えば春は立春・雨水(うすい)・啓蟄(けいちつ)・春分・清明(せいめい)・穀雨(こくう)」、これは太陽を基とした等分点であるが、そこには太陽に対する月の満ち欠けにも配慮されている。
4)二十四節気は、農耕民族に穏やかに語りかけてくれる「自然の声」だと思う。
5)太陽や月の表情や佇まいを、私たちの先祖は生活の指針にしてきたのだろう。(そろそろ太陽は暑くなるよ! それが「大暑」を告げる自然の声)
6)日本文化の「わび」「さび」は月の満ち欠けを基本にしているのではないか。
7)月は、生まれて、膨れて(満月)、欠ける(三日月)、消えて、一瞬死んで、また生まれる。
8)そこで、死んでも生まれる月が私たち日本人の生活の指針になってきた(輪廻の死生観)。
9)始まりは終わりであるが、終わりはまた始まりである。
10) 「わび」「さび」は悲しいものではなく、滅びていくものの中にも次につながる勢いがある。
11) それが、日本の文化の特色であると思う。
12) 月は今の日本の混沌とした状態を正しい方向に戻す羅針盤になるのではないかと考えている。
13) 茶道はよく「おもてなしの文化」と言われるが、「自分を探すための文化」である。
14) 茶道は、自分のなかにある見栄や妬み、邪なものをできる限り捨てて、本来の自分を探すため、本来の自分に近づくために、余分なものを削っていく稽古をする。
15) その稽古の先に、もてなすということが入ってくる。
以上の言葉に納得。
戦国武将たちが、茶道を極めよとした意味も、「本来の自分を探すため、本来の自分に近づくため」の稽古であったのか?
確かに、柔道は「ジャパニーズ・レスリング」ではあってはならない。
そこで、相撲も、勝てば何でもありの『格闘技』ではない。
前下がりもあり、神事とも出される相撲道。
横綱が何故、綱を締めているのか、礼儀、礼節は不可欠。










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