先日、『ビジネス頭を創る100の難問』という本を読みました。著者は、米国
人のジョンケイドー氏。グーグルやマイクロソフトの就職面接問題をまとめたも
のらしい。

難問というだけあって、普通の読み物のようにスラスラとは読めない代物になっ
ている。その中の問題を1つ例に挙げると
「鏡が上下ではなく、左右を反転させるのはなぜでしょうか?」といった問題だ。
人は普段何気なく使っている鏡なのでよく知っていると思い込んでいるが実はき
ちんとした構造を知らないことを突っ込んだ問題だ。
この問題を解くには、あらゆる思い込みを捨て、問題文そのものを疑い、異議を
申し立てるのが最適な回答なのだ。
私たち、日本人は過去の教育の中である刷り込みをされている。
それは、試験を通した「正解」という名の、刷込みだ。言い換えれば正解は常識
であって、常識を疑う目を養う機会を抹殺されているといっても良い。
ある大手企業に勤める私の友人がMBAを取得するために、米国のビジネススク
ールに行った時の話しです。
世界中の優秀なビジネスマンが集い、「なぜ、コカコーラは成功したのか」を
分析発表することになった。
グループごとに発表が終わり、ちょうど終業のベルが鳴ったので、教授は「い
ろんな考え方が出たが、なかなかよく分析してあった。この講義は今日で終了
します。」と締めくくり、講座を終わろうとした。
このときに、ある特異な現象が起きた。
各国のビジネスマンが、帰り支度をする中、日本人のビジネスマンの集団が一
斉に教壇に押し寄せ、「教授!答えはなんですか?正解はどのグループなんで
すか?」と激しく問い詰めた。
教授いわく、「正解なんかありません。いろんな考え方を学ぶことがこの講義
の本質です」と。
あっけにとられた日本人集団は、それでもしつこく聞いていたらしい。
このエピソードにあるように、我々日本人は正解のある教育しか受けてきてい
ない。
しかし、ビジネスや人生では「正解」というものはない。逆にいえば、ルール
さえ守ればどんな生き方をしても良いし、どんなビジネスをしてもかまわない
はずだ。(中国や米国は、そのルールさえも変えてしまう場合がある)
それなのに、正解を求めないと安心できない民族に培養されてしまっている。
この点、米国人や中国人は、全く違う。人と違うことが当たり前だし、価値観
の違う人の意見を積極的に聞こうとする。
違うことを理解した上で、新しく何ができるのかを考えているのだ。
こうしたグローバルスタンダードな考え方が広がるなかで、我々日本人は、一
度「過去の常識を疑ってみる」必要がある。「なぜ、年齢の高い人の給与が高
いのか?」「なぜ医療機関は広告宣伝をしてはいけないのか?」など今まで
「常識でしょっ!」と思っていたことを疑ってみると、違う考え方や違う切り
口が出てくるはずなのだ。
あなたの医院ではどうですか?