マネジメントから見た医院の利益についてお話ししたいと思います。一般に歯科医院においては、その公共性から『利益を上げるのはどうか?』という意見があります。
話題の規制緩和の一つである株式会社の医療分野への参入についてもこの「利益」という考え方から参入すべきではないという議論がでています。
「医は仁術」であることは間違いありませんが、それと経済的な「利益」は矛盾しません。というのも歯科医院のマネジメントにおいて利益は最終目標ではなく、医院を維持するための「条件」にすぎないからです。
ただ利益だけを追求する歯科医院(企業も同じですが)にしようと思えば、非常に安い給与でスタッフを雇い、最も高い治療費を払ってくれる患者さんを数多く治療すれば良いわけです。しかし現実には、そんな歯科医院が存在しえないのは自明の理です。
重要なのは、どの程度の利益が適正なのか?また得た利益が条件としてどのように医院の運営に活かされているかが問われているのです。このことは、一般企業においても全く同じです。企業=営利組織ではなく、「利益は、個々の企業にとっても、社会にとっても必要である。しかしそれは企業や企業活動にとって、目的ではなく条件である」とドラッカーは規定しています。
つまり、企業や組織が生存していくための条件として利益が必要であり、そして利益は企業(医院)の活動や意志決定において、原因や理由や根拠ではなく、その「妥当性の判断基準」なのです。実は、「利益=悪」のように捉えられるようになってしまったことには経済学の歴史に理由があります。この利益の考え方の混乱は、古典派経済学者が「利潤動機なる動機によって人の行動を説明できる」とした考え方によります。つまり、「人間は経済的に合理的な動機によってのみ行動する」という前提のもとに、様々な経済活動を定量的に分析することができるとしたことに混乱の原因があるのです。
しかし、実際に私たち(患者)は常に合理的経済性のみに基づき行動しているわけではありません。たとえ、不利益であったり合理的でなくともサービスを受けたり、物を買ったりすることが実際には多々あるのです。したがって、こうした古典派経済学者の考え方は誤っており、そのために「利益」に対する根深い敵意さえ生じている(ドラッカー弁)のです。
同じように、今まで医療界では利益を上げる医院は「悪」とされてきたように思います。そのため、医院の利益を隠すようになり、結果的には院長個人の私腹を肥やすことにしかならなかったのです。実際にコンサルをしてみて、歯科医院にはカローラで出勤し、自宅からの外出にはベンツを利用しているというようなおかしな院長がでてくるのです。
このことは、一方的に歯科医院側だけの問題ではなく患者側にも問題があります。つまり、利益をあげている医院は、良い治療をしてくれないという概念が根底にあるからです。しかしながら、かつての価値観が大きく変化しつつある今、何故医院に利益が必要で、その医院は何を目指しているのかをオープンに伝えることが出来れば、これからの患者さんはきちんと理解してくれます。
そのためにも、医院の目指す使命(ミッション)を明確にし、それを実現するための条件である利益を何に使っていくのかをスタッフにオープンに表明する必要があります。
そして、利益があがっていることこそ医院のミッション遂行の妥当性の判断基準であることをもう一度考え直してみるべきです。
そう考えれば必然的に本業以外の投資や、意味のない遊興費などにその利益を使うのではなく、人材育成や技術習得など自分の医院が行わなければならないミッションに利益は向けられるはずです。